伯父を自死で亡くしてから、半年が経ちました。
いまでも、ふとした瞬間に思います。
自分のせいだったのではないか。
もっと電話していれば。
もっと会いに行っていれば。
旅行に連れて行っていれば。
地元に戻って、近くに住んでいれば。
自分がもっとちゃんと立っていれば。
そういう「たられば」が、何度も頭の中を回ります。
最初の1か月ほどは、とくにひどかったです。亡くなる前の数日、その前の様子、家に残されていたもの、周りの人が見た様子。そういう一点一点に意識が張り付いて、何度も時系列を整理していました。
半年経った今は、そこだけに視野が狭くなる時間は少し減りました。けれど、忘れたわけではありません。片時も忘れたことはありません。
この記事は、「あなたのせいではありません」と、きれいに言い切るためのものではありません。
そう言われても、入ってこない夜があるからです。
ただ、同じように「自分のせいかもしれない」と検索している人に向けて、私自身が半年かけて少しずつ整理してきたことを書きます。
もし今、自分も消えたい、後を追いたい、もう限界だと感じている場合は、この記事を読むより先に人へつながってください。厚生労働省の「まもろうよこころ」では、#いのちSOS(0120-061-338)、よりそいホットライン(0120-279-338)などの相談先が案内されています。#いのちSOSは毎日24時間の電話相談も案内しています。
参考:厚生労働省「まもろうよこころ」
/ #いのちSOS / よりそいホットライン
自死遺族の「自分のせい」は、理屈では止まらない
人はよく、「あなたのせいではない」と言います。
たぶん、それは正しいのだと思います。少なくとも、ひとりの人間が命を絶つまでには、ひとつの理由では説明できないほど多くの事情があります。心身の不調、孤独、年齢、暮らし、家族との距離、本人の価値観、社会の空気。外から見えるものは、その一部でしかありません。
それでも、自死遺族になった側は、自分の手の届く範囲だけを何度も見てしまいます。
「あの時、電話できた」
「あの日、会いに行けた」
「あの言葉を聞いた時に、もっと強く動けた」
「自分がもっと余裕のある人間だったら、違ったかもしれない」
自責は、理屈よりも手前で起きます。
私の場合、もともと人のことを自分ごとにしてしまうところがありました。謝らなくていい場面で謝る。相手の機嫌が悪いと、自分が悪いのではないかと思う。近い人ほど怖く、本心を言えず、相手の反応を必要以上に読んでしまう。
そういう生き方を長くしてきた人間が、近い親族を自死で亡くしたら、「自分のせい」という回路に落ちるのは、ある意味では自然でした。
でも、自然だからといって、それが真実だとは限りません。
自責は、悲しみの形をした反応です。
愛情の形をした反応です。
そして時には、「本当はどうにもできなかった」という無力を直視するのが苦しすぎて、「自分のせいだった」と思うことで、かろうじて意味を持たせようとする反応でもあるのだと思います。
「自分のせい」と思うほうが、ある意味では、自分にまだ力があったことになるからです。
でも本当は、力がなかったのかもしれない。
ひとりで動かせる範囲を、最初から超えていたのかもしれない。
このことを認めるのは、とてもつらいです。
「地元に戻っていたら」という、いちばん大きなたられば
伯父は、生前、私に地元へ戻ってきてほしいという思いを持っていました。
父母も年を取っていく。健康や生活に不安が出てくる。だから近くにいて、家族を大事にしてほしい。そういう気持ちだったのだと思います。
それは、本当に正しいと思います。
もし私が地元に戻っていたら。
公務員や会社員になって、近くに住んでいたら。
結婚して、子どもがいて、伯父にたまに子守りや送迎を頼めていたら。
そうしたら、伯父に役割が生まれて、孤独が少し薄まり、違う未来があったのではないか。
私は、何度もそう考えました。
でも、半年経って思うのは、たらればには、必ず別のたらればがあるということです。
たしかに、近くにいたら接点は増えたかもしれません。役割を持つことで、人は生きがいや張り合いを感じることがあります。
けれど、その役割が後に重荷になった可能性もあります。
年を取り、送迎が難しくなる。頼られていたことが、ある日できなくなる。役に立てなくなった自分に、別の絶望を感じる。本人の理想像やプライドとのギャップに苦しむ。
そういう可能性も、全くなかったとは言えません。
これは、何かを断定したいわけではありません。私が地元に戻っていたら救えた、という物語にも、救えなかったかもしれない、別の苦しみが生まれたかもしれない、という物語にも、どちらにも確証はない。
結局、当人のことは、当人にしか分かりません。
残された側は、どうしても「自分が変えていれば」と思います。けれど、ひとりの人生は、ひとつの行動で単純に書き換えられるものではありません。
それでも悔しい。
それでも、戻れるなら戻りたい。
それでも、「あの時」と思ってしまう。
その矛盾の中にいるのが、自死遺族なのだと思います。
「電話していれば」「旅行に連れて行っていれば」は、消えない
地元に戻るという大きなたらればとは別に、もっと日常的なたらればもあります。
電話していれば。
会いに行っていれば。
旅行に連れて行っていれば。
私の場合、伯父はいつも優しい人でした。深く詮索せず、ただ見守ってくれる人でした。私がうまくいっていない時期も、責めずにいてくれました。
だからこそ、私はどこかで「ちゃんと立った姿」を見せたかったのだと思います。
経済的にも、仕事としても、人生としても、もう少し安定した自分で会いたかった。報告できることができてから、ちゃんと向き合いたかった。
でも、「もう少し落ち着いてから」は、永遠に来ませんでした。
これは、自死遺族に限らない後悔かもしれません。大切な人を亡くしたあと、人は誰でも「もっと会っておけばよかった」と思うのだと思います。
ただ、自死の場合、その後悔に別の色が混ざります。
「寂しかったのではないか」
「苦しかったのではないか」
「あの電話一本が、何かを変えたのではないか」
そういう問いが、普通の死別とは違う鋭さで残ります。
私は今でも、旅行に連れて行けなかったことを思います。たった一度でもよかった。どこかへ連れて行き、同じ景色を見て、少しでも「楽しかった」と思ってもらえたら。
でも、それもまた、私の側から見た物語です。
伯父が本当に何を望んでいたのか。
何が重く、何が救いだったのか。
どの言葉が届き、どの行動が届かなかったのか。
それは、もう聞けません。
この「聞けない」という事実が、自死遺族の後悔を終わらせにくくしているのだと思います。
身内にも話せないから、さらに自分の中で回り続ける
自死遺族のつらさは、悲しいことだけではありません。
話しづらいことが、つらいのです。
家族も同じ人を亡くしています。母には母の後悔があり、父には父の後悔があり、妹には妹のショックがある。こちらが何かを話せば、相手の中にあるものも揺れてしまうかもしれない。
だから、軽々しく故人の話を出せません。
「最近も思い出す」
「まだ毎日考えている」
「あの時のことが頭から離れない」
そういうことを言いたくても、相手も同じ悲しみを抱えていると思うと、言葉を飲み込みます。
友人にも、簡単には言えません。
「身内が亡くなって落ち込んでいる」と言うと、「自分も祖母を亡くした時につらかった」と返ってくることがあります。相手に悪気はありません。大切な人を亡くす悲しみは、誰にとっても本物です。
でも、こちらの中には「そうではない」という感覚が残ります。
死を比べたいわけではありません。誰かの悲しみを低く見たいわけでもありません。ただ、命を断つ決断が残した悔しさ、止められたのではないかという問い、亡くなり方を言いづらい感じは、普通の死別とは別の種類の重さを持っています。
この認知ギャップが、かなりつらいです。
死をタブー視しているからつらい、というだけではありません。もちろん、私は死を遠ざけて生きてきたところがあります。現代人の多くがそうであるように、死を日常から切り離してきたところはあります。
でも、自死遺族の悲嘆は、それだけでは説明できません。
悲しい。
悔しい。
絶望する。
責めたくない。
でも自分を責めてしまう。
家族にも話しづらい。
外の人には伝わりにくい。
その全部が重なっているから、つらいのだと思います。
「自殺」と「自死」という言葉について
このサイトでは、基本的に「自死」という言葉を使っています。
「自殺」という言葉を絶対に使わない、という意味ではありません。統計や制度、検索語の説明では「自殺」と書いたほうが伝わる場面もあります。
ただ、自死遺族としての自分の感覚では、「殺」という字はかなり強いです。
命を絶った人を責める気持ちになれない。
そこまで追い込まれた人を、乱暴に裁く言葉にしたくない。
遺族にとっても、その字がそのまま刺さることがある。
だから、故人や遺族の心情に近い文脈では、「自死」と書くことが多いです。
これは言葉狩りではありません。どちらの言葉が正しい、間違っている、という話でもありません。
言葉を選ぶことは、故人と遺族の尊厳を守る作業でもあると思っています。
気持ちが止まっても、手続きと片づけは止まらない
ここまで、気持ちの話を書いてきました。
でも、自死遺族になって分かったのは、気持ちが止まっていても、手続きは止まらないということです。
役所の届出。
葬儀。
年金。
相続。
家の名義。
遺品整理。
場合によっては、特殊清掃や不動産の処分。
悲しむより先に、書類が来ます。電話が来ます。判断を求められます。
心が完全に止まっていても、「誰がやるのか」「いつまでにやるのか」「費用はどうするのか」という現実が動き続けます。
私自身、感情の記事と、手続きの記事は分けて書くべきだと思っています。自責のただ中にいる人へ、いきなり業者の見積もりをすすめるような書き方はしたくありません。
ただ、実務を外へ出すことは、遺族の心を守ることでもあります。
全部を自分たちだけで抱え込まない。
分からないことは窓口や専門家に聞く。
家の片づけや清掃は、必要なら業者に見てもらう。
不動産や相続は、早めに専門家へ確認する。
それは、故人を粗末にすることではありません。
むしろ、自責で動けなくなっている遺族が、これ以上傷つかないための現実的な守りだと思います。
「あなたのせいではない」が入ってこない夜に
最後に、同じように「自分のせいかもしれない」と思っている人へ。
私は、あなたに「あなたのせいではありません」とだけ言って終わることはできません。
それを言われても、入ってこない夜があるからです。
だから、別の言い方をします。
あなたがそう思ってしまうほど、その人のことを大切に思っていたのだと思います。
自分のせいだと思うのは、冷たいからではありません。
忘れたいからでもありません。
どうでもよかったからでもありません。
むしろ、どうにかしたかったから。
助けたかったから。
まだ何かできたのではないかと、思わずにいられないから。
その気持ち自体を、責めなくていいと思います。
ただ、その気持ちがあなたを壊してしまいそうな時は、ひとりで抱えないでください。
身内に言えないなら、外の人でいい。
友人に言えないなら、相談窓口でいい。
言葉にならないなら、言葉にならないままでいい。
あなたが今も苦しいのは、弱いからではありません。
それだけ、大きなものを失ったからです。
自分を責める気持ちは、すぐには消えないかもしれません。私も消えていません。でも、半年経って、少し形は変わりました。
鋭い一点から、広い重さへ。
最後の数日だけに張り付く視野狭窄から、故人の人生全体を少しずつ思い出す時間へ。
「自分のせいだ」だけではなく、「当人のことは当人にしか分からない」という場所へ。
完全に楽になるわけではありません。
それでも、形は変わっていきます。
今日の夜が少しでも長すぎるなら、まずは誰かにつながってください。
この記事は、そのために置いておきます。
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※この記事は、自死遺族である私自身の経験をもとにした手記です。悲嘆の感じ方や経過には、大きな個人差があります。ここに書いたのは、あくまで私ひとりの体験であり、誰かに同じ経過や同じ受け止め方を求めるものではありません。心身の不調が続く場合や、つらい気持ちが強いときは、医療機関や相談窓口など、専門の支援につながることを検討してください。
