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自死遺族の後悔と苦しみ|半年経っても消えない、かたちは変わる

PR本記事には広告(アフィリエイトリンク)を含みます。私が実際に経験したことをもとに、自死遺族の当事者の目線で書いています。専門家ではなく、ひとりの遺族の手記としてお読みください。

伯父を自死で亡くしてから、半年が経ちました。

正直に書きます。半年経っても、後悔も苦しみも、消えていません。
「時間が解決する」と人は言いますが、少なくとも私の半年では、解決しませんでした。

ただ、ひとつだけ言えることがあります。消えはしないけれど、かたちは変わりました。
最初の数週間と、今とでは、苦しさの質が違う。それを、立ち直りの物語としてではなく、ただ「こう変わっていった」という当事者の記録として残しておきたくて、この文章を書いています。

もしあなたが今、誰かを自死で亡くして、夜中にひとりでこのページにたどり着いたのなら。何かを教えるつもりはありません。「乗り越えましょう」とも言いません。ただ、同じ場所にいた人間が書いたものとして、隣で同じ方を見ているつもりで、書きます。

この記事でわかること:

  • 自死遺族の「後悔」が、どんなかたちで残るのか(私の場合)
  • 半年のあいだに、苦しみのかたちがどう変わっていったか
  • なぜ私は、一度も故人を責めなかったのか
  • 同じ立場の人へ、私が思っていること
  • もし後を追いたい気持ちがある人へ(相談窓口の案内)
  • 半年経っても消えないとき、専門家に話すという選択肢

自死遺族の後悔は、いちばん身近な「できなかったこと」に宿る

自死遺族の後悔と聞くと、「もっと早く異変に気づいていれば」というものを思い浮かべるかもしれません。もちろん、それもあります。でも、私の場合、いちばん深く刺さっているのは、もっと身近で、もっと日常的な後悔でした。

私は、伯父に「ちゃんと立った姿」を、最後まで見せられませんでした。

伯父は、私にいつも温かい言葉をかけてくれる人でした。こちらの事情を根掘り葉掘り聞くこともなく、ただ見守ってくれて、会えばお小遣いをくれる。そういう、静かに優しい人でした。

その伯父に、私は、安定した働き方も、落ち着いた暮らしも、報告できないままでした。職が定まらず、住まいも不安定で、人に身を寄せるような時期もあった。そういう自分が、いつか「凛として立って、立派になった」と胸を張って会いに行ける日を、心のどこかでずっと先延ばしにしていたのだと思います。

ポジティブな知らせを返せない引け目があって、月に一度はかけていた電話が、だんだんご無沙汰になっていきました。「もう少し、自分が落ち着いてから」。そう思っているうちに、その「もう少し」は、もう永遠に来なくなりました。

後悔というのは、たぶん、こういうものなのだと思います。大きな出来事ではなく、「あのとき、あの一本の電話をかけていれば」という、取り返しのつく規模だったはずの小さなことが、取り返しのつかないものに変わってしまう。その落差に、半年経っても、ふいに息が詰まります。

伯父は、こちらの近況を問い詰めるような人ではありませんでした。だから余計に、私は甘えていたのだと思います。「次に会うときには、もう少しましな報告ができるはずだ」「そのときに、まとめて伝えればいい」。そう思って、目の前の一本の電話を、何度も先送りにしました。報告できる材料が揃ってから、というのは、聞こえはいいけれど、結局は、立派になれていない自分を伯父に見せたくない、という私の都合でしかなかった。今になって、それがはっきり分かります。

伯父が私にくれていたものは、お金でも、立派な助言でもありませんでした。深く詮索せずに、ただ「お前はお前でいい」と見守ってくれること。その静かな肯定に、私は、ろくに何も返せていなかった。返せないままで、時間だけが過ぎていったのです。

父が以前、「旅行に連れて行ってやれ、後悔するぞ」と言っていたことがありました。私は、それを一度も叶えられませんでした。たった一回でいいから、どこかへ連れて行きたかった。今はもう、その「一回」を渡す相手がいません。父の言葉は、当たってしまいました。後悔するぞ、という言葉のとおりに、私は今、後悔しています。それも、何ひとつ手の打ちようがない後悔として。

自死遺族の後悔は、たぶん人それぞれ、まったく違うかたちをしています。だから私は、あなたの後悔がどんなものかを推し量ることはしません。ただ、「いちばん身近な、できたはずのことほど、深く残る」——私の場合はそうだった、とだけ書いておきます。


自死遺族の苦しみは、最初の四十九日がいちばん鋭かった

苦しみのかたちが変わっていった、と最初に書きました。その「変わり方」を、時系列でそのまま記録します。これは「こう変わるべき」という話ではありません。あくまで私の身体と心が、勝手にたどった経過です。

最初のおよそ四十九日。
ここがいちばん、鋭い時期でした。

毎日、目が覚めるたびに自分を責めていました。「なぜあの電話をかけなかったのか」「なぜ立派になった姿を見せられなかったのか」。具体的な後悔のひとつひとつが、刃物のように鋭く、その日その日で、別々の角度から刺してくる。そういう感覚でした。

日常の動作のなかにも、ふいにそれは現れました。何でもないはずの生活の一場面が、急に辛い記憶と結びついて、しばらくは普通に過ごすことすらできない時期がありました。生活のなかのささいな瞬間が、突然、苦しさの引き金になる。自死遺族の苦しみには、そういう「予測できなさ」があります。

この時期は、自分でも、自分の感情をコントロールできていませんでした。何かをしている最中に、急に伯父のことが頭をよぎって、手が止まる。眠ろうとしても、後悔がぐるぐると回り続けて、寝つけない。朝起きた瞬間に、また「そうだ、伯父はもういないのだ」という事実に殴られる。その繰り返しでした。悲しみが、波のように一定の周期で来るのではなく、地面のあちこちに地雷が埋まっていて、いつどこで踏むか分からない——そんな感覚でした。

人前では、なんとか普通に振る舞おうとします。でも、ひとりになった瞬間に、ぜんぶが戻ってくる。自死遺族の苦しみが特に重いと感じるのは、この「人に言いにくさ」も含まれているからだと思います。亡くなり方を、誰にでも気軽に話せるわけではない。だから、苦しみを抱えたまま、表面だけ平気な顔をして過ごす時間が、どうしても長くなります。その二重生活のようなものが、最初の四十九日は、本当にこたえました。

四十九日という区切りには、仏教的な意味があると言われます。けれど私にとっては、宗教というより、自分の感覚として、その頃を境に、何かのフェーズが変わった——そう振り返って思います。もちろん、これは私の体感にすぎません。四十九日で何かが楽になる、と約束したいわけでは決してありません。


自死遺族の生き地獄は「スポットが広くなる」かたちで続いていく

四十九日を過ぎたあたりから、苦しみのかたちが変わってきました。

うまく言葉にできないのですが、本人の感覚としていちばん近いのは、「スポット(焦点)が、広くなった」という言い方です。

最初は、特定の後悔——「あの電話」「あの旅行」——という、はっきりした一点に向かって、鋭い痛みが集中していました。それが、一ヶ月半を過ぎたあたりから、個別の鋭い痛みというよりも、漫然とした、慢性的な重さへと変わっていったのです。

刃物で刺されるような痛みが、だんだん、身体全体に薄く広がる鈍い重力のようなものに変わっていく。そういう感覚でした。

正直に言えば、これは「楽になった」のとは少し違います。鋭さが減ったぶん、輪郭がぼやけて、いつもそこにある、漠然とした暗さに変わった、という方が近い。自死遺族の生き地獄という言葉で検索する人がいるのも、たぶんこの感覚を知っているからだと思います。劇的な絶望が去ったあとに、終わりの見えない重さが居座る。その状態が、確かにあります。

「生き地獄」という言葉は、強い言葉です。けれど、私は、その言葉を使いたくなる気持ちを、否定できません。なぜなら、終わりが見えないからです。鋭い痛みなら、いつか和らぐかもしれないと思える。けれど、薄く広がった慢性的な重さは、「これがこの先もずっと続くのかもしれない」という予感とセットでやってきます。痛みそのものよりも、その「終わらなさ」のほうが、ときに人を追い詰める。私は、そう感じています。

それでも、ひとつだけ、自分に言い聞かせていることがあります。それは、この重さも、四十九日のときの鋭さから、すでに一度かたちを変えている、という事実です。鋭い痛みが慢性的な重さに変わったように、この重さもまた、これから先、別のかたちに変わっていくのかもしれない。良くなる、とは言い切れません。でも、「ずっとこのまま、まったく同じ状態で固定される」わけではない——その小さな手がかりだけは、自分の経過のなかに見つけることができました。

そして半年経った今。私の身体には、はっきりした症状として、ふとした瞬間に心拍が上がることがあります。何かのきっかけがあるわけでもないのに、漫然とした絶望感や、不安感が続く。これが今の私の状態です。

「だんだん良くなっていますよ」と、きれいにまとめることは、私にはできません。良くなったのではなく、かたちが変わった。鋭い自責から、慢性的な重さへ。それが、半年という時間が私にもたらした、正直なところです。

だから、もしあなたが「全然立ち直れていない自分」を責めているなら。私は、それは責められるようなことではないと思います。立ち直るのが正解で、立ち直れないのが失敗、という話ではない。ただ、かたちが変わっていく。
私が言えるのは、それだけです。


私が一度も、亡くなった伯父を責めなかった理由

自死遺族のなかには、「どうして残された私たちのことを考えてくれなかったのか」と、故人に対して怒りや恨みを抱く人もいると聞きます。それは、おかしなことでも、悪いことでもないと思います。それもまた、遺された人の正直な気持ちです。

ただ、私の場合は、不思議なほど、一度も伯父本人を責める気持ちが湧きませんでした。
責めたのは、いつも自分のほうでした。

理由を、自分なりに考えました。たぶん、私自身も、長いあいだ、生きづらさを抱えてきたからだと思います。鬱に近いような時期を、私は内側から知っています。自分が苦しかったぶん、人を責めるより先に、自分のほうを顧みる癖がついているのかもしれません。

それでも、伯父が最後に何を抱えていたのかは、私には分かりません。だから、伯父の決断の「理由」を、推し量ることはしません。外側から見えるものなんて、ほんの一部でしかない。
それを「きっとこうだったのだろう」と決めつけることは、私には、亡くなった人への蹂躙のように感じられるのです。

自死遺族になると、周囲から、あるいは自分自身の頭の中から、「どうして」という問いが、何度も投げかけられます。どうして気づかなかったのか。どうして止められなかったのか。どうして、そんな決断をしたのか。けれど、私は、その「どうして」に、答えを出そうとすることを、途中でやめました。やめた、と言い切れるわけでもありません。今もふとした瞬間に、「どうして」は戻ってきます。ただ、考えても考えても分からない。その分からなさに削られていく自分がいることだけは、半年のあいだに、はっきりと分かりました。

理由を分かったつもりになることは、たぶん、遺された側の心を少しだけ楽にするのかもしれません。けれど、その「分かったつもり」は、本当に亡くなった人が抱えていたものを、勝手に簡単な物語に置き換えてしまうことでもあります。私は、伯父の最後の心の中を、私の都合で要約したくありませんでした。分からないものを、分からないまま、抱えておく。それが、私なりの、伯父への敬意の払い方です。

ここでも、私はあなたに「故人を責めないでください」と言うつもりはありません。責める気持ちがあるなら、それも抱えていていい。逆に、私のように自分ばかりを責めてしまうなら、それも、たぶん止められない。どちらが正しいという話ではないのです。

ただ、私の軸として、ひとつだけ決めていることがあります。それは、伯父の甥として、恥じることなく生きていく、ということ。見せられなかった「立った姿」を、これからの生き方で見せていく。今はそれを、自分との約束にしています。


同じ立場になった人へ──私が「教えない」と決めている理由

ここまで読んでくださって、もしあなたも自死遺族なら。私は、あなたに何かを教える立場にはありません。

「こうすれば楽になる」「こうやって乗り越えた」——そういうことを、私は書けません。なぜなら、私自身がまだ、半年経っても苦しみの只中にいるからです。乗り越えた人間ではなく、ただ、同じ道の少し先を歩いているだけの人間です。

それでも、もし伝えられることがあるとすれば、こういうことです。

苦しいまま、無理に前を向かなくていいと思います。
「いつまでも引きずって」と誰かに言われても、その人は、あなたの後悔の中身を知りません。あなたにしか分からない後悔を、あなたのペースで抱えていていい。

自分を責めてしまうなら、それを止めようとしなくていいと思います。
私も止められていません。ただ、責める自分を、さらに責めなくていい。責めてしまう自分も、悲しんでいるだけなのだから。

そして、誰かに話していい、ということ。私自身、半年のあいだ、うまく言葉にできない時期がずっと続きました。けれど、少しずつでも、こうして書いたり、誰かに聞いてもらったりすることが、苦しみの輪郭を、ほんの少しだけ手で触れられるものに変えてくれた気がしています。

それから、もうひとつ。苦しみの感じ方を、誰かと比べなくていい、ということ。同じ自死遺族でも、後悔の中身も、悲しみの深さも、立ち直る速さ(と世間が呼ぶもの)も、人それぞれです。「あの人はもう前を向いているのに、自分はまだ」と比べると、苦しさは何倍にもなります。あなたの悲しみは、あなただけのものです。誰かの物差しで測る必要は、まったくありません。

夜中にひとりで「自死遺族 後悔」「自死遺族
苦しみ」と検索したことのある人へ。同じことをした人間が、ここにいます。それだけは、伝えておきたいと思いました。検索してこのページにたどり着いた、ということは、あなたは、苦しいなかでも、何かにつながろうとしている。その小さな手の伸ばし方を、私は、否定したくありません。


もし、後を追いたい気持ちがある人へ

ここで、ひとつだけ、別のこととして書かせてください。

自死遺族のなかには、悲しみが深すぎて、自分も後を追いたい、消えてしまいたい、と思う人がいます。私自身、漫然とした絶望感が続くなかで、その気持ちが分からないわけではありません。

もし今、あなたがそういう気持ちを抱えているなら。どうか、その気持ちを、ひとりだけで抱え込まないでください。

話を聞いてくれる窓口があります。電話やチャットで、無料で、あなたの話をただ聞いてくれる場所です。

  • 「#いのちSOS」(特定非営利活動法人 OVA):電話
    0120-061-338
  • よりそいホットライン(一般社団法人
    社会的包摂サポートセンター):電話 0120-279-338
  • いのちの電話:各地域に窓口があります(「いのちの電話」で検索するとお住まいの地域の番号が見つかります)

これらは、「何かを解決してくれる場所」というより、「ただ、話を聞いてくれる場所」です。うまく話せなくても、泣くだけでも、いいのだと思います。私が言えるのは、あなたにも、聞いてもらっていい権利がある、ということだけです。


半年経っても消えないとき、専門家に話すという選択肢

ここから先は、上の窓口の話とは分けて、静かに書きます。

緊急に誰かに話したい、というのとは別に、半年、一年と続いていく慢性的な苦しさを、少しずつ、継続して誰かに話していくことが、自死遺族にとって支えになる場合があります。

私自身、振り返って思うのは、悲しみのかたちが「鋭い自責」から「漫然とした重さ」に変わっていく過程で、それを身内ではない第三者に——専門家に話すというのも、ひとつの手だったかもしれない、ということです。

身内には、かえって話せないことがあります。お互いが同じ人を亡くして、お互いが苦しんでいるからこそ、相手にこれ以上の重さを乗せたくない。私も、母にも父にも、言えずに飲み込んだ気持ちがたくさんありました。母には母の後悔があり、父には父の後悔がある。それを知っているからこそ、自分の苦しさを口にすると、相手の苦しさを押し広げてしまう気がして、言葉を飲み込む。同じ家のなかで、それぞれが、それぞれの悲しみを、別々に抱えている。そういう状態が、自死遺族の家族には、しばしば起こるのだと思います。

そういうとき、利害もしがらみもない相手に、ただ話を聞いてもらう、というのは、考えてみてもいい選択肢だと思います。相手が身内でないからこそ、遠慮なく、まとまっていない言葉のまま、吐き出せることがある。話したところで伯父が戻ってくるわけではない。それでも、声に出して、誰かに受け止めてもらうという行為そのものが、胸の奥に固まっていたものを、ほんの少しだけ動かしてくれることがあります。私自身、この半年で、それを少しずつ実感しています。

最近は、グリーフ(悲嘆)に向き合うためのカウンセリングを、オンラインで、自宅から受けられるサービスもあります。対面に出向く気力すら湧かない時期でも、画面越しなら話せる、ということもあるかもしれません。

オンラインで心理カウンセリングを受けてみる

公認心理師(国家資格)によるオンライン心理カウンセリング(Kimochi)。身内には言えないことを、第三者に話すという選択肢

念のため書いておきますが、これは「カウンセリングを受ければ治る」という話ではありません。私は治ったわけではないし、誰かに「受けるべき」とも言いません。ただ、半年経っても消えないとき、自分ひとりで抱え続けなくてもいい、という選択肢があることだけ、当事者として残しておきます。受けるか受けないかは、あなたのペースで、あなたが決めればいいことです。

また、話を聴いてもらうこととは別に——眠れない日が続く、食べられない、動悸がする、といった体の不調が続いているなら、それは医療(心療内科・精神科)の領分です。私自身、伯父を亡くしたあとの不調が続いて、心療内科に通うようになりました。外に出る気力がない時期でも、オンラインで自宅から受診できるところもあります。

オンラインで精神科・心療内科を受診してみる

精神科・心療内科のオンライン診療(エニキュア)。外に出られない時期でも、自宅から医師に話せます。

まとめ──終わらない、でもかたちは変わっていく

最後に、この半年で私が知ったことを、まとめておきます。

  • 自死遺族の後悔は、いちばん身近な「できたはずのこと」に深く宿る。私の場合は、立った姿を見せられなかったこと、月一の電話がご無沙汰になったこと
  • 苦しみのかたちは、時間とともに変わっていく。最初の四十九日は鋭い自責、その後は「スポットが広がった」慢性的な重さへ、半年経った今は漫然とした絶望感・不安感へ
  • 立ち直れない自分を、さらに責めなくていい。良くなるのが正解ではなく、ただ、かたちが変わっていく
  • 後を追いたい気持ちがあるなら、ひとりで抱えないで。話を聞いてくれる無料の窓口がある
  • 半年経っても消えないなら、専門家に話すのもひとつの手。身内には言えないことを、第三者になら話せることもある

私は、伯父を亡くした苦しみを、乗り越えてはいません。これからも、たぶん消えないのだと思います。それでも、半年前の自分とは、苦しみのかたちが確かに変わりました。

「終わらないけれど、かたちは変わる」。今の私に言えるのは、それだけです。同じ夜を過ごしている誰かが、これを読んで、ほんの少しだけ息をつけたなら、それで、この文章を書いた意味があります。


※この記事は、自死遺族である私自身の経験をもとにした手記です。悲嘆の感じ方や経過には、大きな個人差があります。ここに書いたのは、あくまで私ひとりの体験であり、誰かに同じ経過や同じ受け止め方を求めるものではありません。心身の不調が続く場合や、つらい気持ちが強いときは、医療機関や下記の相談窓口など、専門の支援につながることを検討してください。

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