大黒柱に、ペンで刻んだ身長の線が残っている家を、売れるだろうか。伯父を亡くしてから半年、私はその問いの前で止まったままでいます。「実家 売却 寂しい」「実家 売却 つらい」——同じ言葉を頭の中で繰り返してきた方に、同じ場所に立っている人間がいることだけでも伝わればと思います。
私は2025年の冬、伯父を自死で亡くしました。伯父が一人で暮らしていたのは、母が生まれ育った家——つまり母の実家です。相続したのは母ですが、処分をどうするかを調べて考える役割は、甥である私が引き受けています。
結論めいたことを先に書くと、この記事には「こうすれば寂しくなくなる」という答えはありません。私自身が、半年経ったいまも手放す決心をつけられずにいるからです。ただ、同じ場所に立っている人間が何を考えているかを、正直に記録しておきたいと思います。
この家に、何が残っているか
私は幼少期から、ずっとこの家に通っていました。
夏にはプールを出してもらって遊びました。五月人形や雛人形は、いまもそのまま飾られています。アルバムには数えきれない写真。そして大黒柱には、ペンで刻んだ身長の線が残っています。何歳のときの線か、いまでも思い出せます。
つまりこの家は、ただの「不動産」ではありません。家族の記録が、そのままのかたちで保存されている場所です。
だから、手放したくない。壊したくない。
「実家の売却が寂しい」という言葉で検索する人は、たぶん同じ気持ちなのだと思います。売却の手続きや相場が知りたいのではなくて、「この気持ちのまま売っていいのか」が分からないのではないでしょうか。私はそうでした。
それでも「早く、適切に処分するべきだ」と思う理由
気持ちの話だけで終われたら、どんなに楽かと思います。でも、現実の家は待ってくれませんでした。
- 相続した母も、もう若くありません。この家の問題を母の代で終わらせられなければ、次は私が同じ問題を、もっと条件の悪い状態で引き受けることになります。
- 築50年の木造です。人が住まない木造の家は、傷むのが早いと言われます。
- 夏になると、庭の草が伸び放題になります。私の住まいからこの家までは、飛行機を使ってドアtoドアで7時間以上かかります。だから普段の見回りは、車で30分ほどの距離に住む母たちに頼るしかありません。それでも、追いつきません。
- 草木が茂り、人の出入りがない家は、景観のうえでも、衛生のうえでも、防犯のうえでも、近隣にとってリスクになっていきます。
放置した空き家が具体的にどうなっていくか——固定資産税のことや「特定空家」のことは、別の記事に当事者として調べたことをまとめています。
関連記事:相続した実家の空き家、放置するとどうなる?自死遺族が処分を決めるまで
手放したくない気持ちと、放置してはいけないという現実。このどちらも、嘘ではありません。だから苦しいのだと思います。
関連記事:一人っ子の実家売却はどうする?|相続人がひとりだった家の、楽な面と重い面
正直に書くと、私はまだ査定すら取れていません
ここまで書いておいて、と思われるかもしれません。それでも、ありのままを残します。
私はまだ、不動産会社の査定を取っていません。調べてはいます。解体して更地にする費用が土地の評価額を上回ることも、古家付き土地として売る方法があることも、調べて知りました。一時は更地にして太陽光発電を載せる土地活用まで考えましたが、撤去費用の問題を知って見送りました(その検討の記録は相続した土地に太陽光発電は得?撤去費用の問題を知って売却を選んだ理由にまとめています)。それでも、査定の申し込みボタンの前で止まっています。
査定額を知ってしまったら、あの家が「数字」になってしまう気がするからです。
伯父を亡くしてから、悲しみは消えていませんが、かたちは変わってきました。最初の頃の鋭い痛みが、だんだん漫然とした重さに変わっていく。その途中で「家を数字にする」作業をする気力が、なかなか湧いてこない。同じ立場の方なら、分かってもらえるかもしれません。
関連記事:自死遺族の後悔と苦しみ|半年経っても消えない、かたちは変わる
「売る=思い出を捨てる」ではない、と思うようにしている
それでも最近、少しだけ考え方が変わってきた部分があります。
写真は、持ち出せます。柱の身長の線は、写真に撮って残せます。人形も、家と一緒に処分しなければいけないわけではありません。
家と思い出は、完全に一心同体ではないのかもしれない。そう思い始めています。
家は放っておけば傷み、草は伸び、近隣の負担になっていきます。思い出の入れ物だった家が、誰かの迷惑になっていく——それは、あの家で過ごした時間の終わり方として、いちばん悲しい結末のような気がします。
だから私は、「できるだけ早く、適切に処分するのが正しい」と、頭では何度も結論を出そうとしています。出しかけては、戻る。その繰り返しです。気持ちが追いつくのを待たずに、手だけ先に動かすべき場面が、人生にはあるのかもしれません。
最初の一歩は「査定だけ」でいい、と自分に言い聞かせている
いま私が自分に言い聞かせているのは、こういうことです。
査定を取ることと、売ると決めることは、別の作業だ。
査定はあくまで「あの家がいま、市場でどう評価されるか」という情報です。情報を知ったうえで、売らないという選択をしてもいい。むしろ情報がないまま迷い続けるほうが、決められない時間だけが延びていきます。
私の次の一歩は、ここだと決めています。同じように「売ると決めたわけではないけれど、判断材料だけは揃えたい」という方のために、無料で査定を依頼できる窓口を載せておきます。
査定額は、依頼する会社によって差が出ると言われます。「数字を一度知ってみる」という段階だからこそ、1社だけで決めず、もう1社くらいで見比べておくと、その数字が高いのか安いのかの目安がつきます。私が調べた中では、複数の不動産会社にまとめて診断を頼める一括査定の窓口もありました。気持ちはまだ追いついていなくても、判断材料を二つ三つ並べておくぶんには、心の負担は少ないように思います。
なお、私の伯父の家のように亡くなった事情のある家(心理的瑕疵のある物件)の場合は、一般の査定とは別の論点があります。それは別の記事にまとめています。
関連記事:事故物件(心理的瑕疵物件)の売却記録
まとめ|寂しさは、間違いではない
実家の売却が寂しい、つらいと感じるのは、その家で過ごした時間が本物だったからだと思います。寂しくない方がおかしい。だからその気持ちを、無理に消す必要はないはずです。
ただ、気持ちが追いつくのを待っているあいだにも、家は傷み、税金は来ます。放置の先にあるのは、思い出の風化ではなく、家の劣化と近隣への負担です。
急がなくていい。でも、止まったままでいるのとは違う。査定だけ、情報だけ、一歩だけ。私もいま、その一歩の手前にいます。この記事は、自分の背中を押すためにも書きました。
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※この記事は、自死で伯父を亡くした遺族が、専門家ではなく当事者として体験・考えたことをまとめています。売却・処分のご判断は、不動産会社など専門家にご確認ください。
